STORY日星電気の歴史

1960~
1960~

ルーツは組紐をつくる編組(へんそ)

日本が高度経済成長を迎える夜明け前、繊維産業が盛んな静岡県浜松市で、後の日星電気となる小さな町工場は黙々と靴紐を編んでいた。家庭にオートバイや車が普及するのはもう少し先。庶民はみな足で働き、歩いて暮らした。生活や労働の足元をしっかりと支える強い靴紐が求められた。何本もの繊維を編み込む「編組」の技術は、丈夫で切れにくい靴紐を生み出し、確かな品質は多くの人々に重宝がられた。1969年、編組製造を企業化し当社は産声を上げる。

設立当時の日星電気

1970~
1970~

技術を発展させて
面白いものをつくる

徒歩からモータリゼーションへ。手動から電動へ。人々の暮らしは激変した。当社ももはや靴紐にはとどまってはいられない。ガラス繊維にワニス(絶縁するためのゴムや樹脂の素材)をコーティングした絶縁編組チューブ製品に乗り出した。関西の大手電機メーカーへ売り込んだら、相手は少なからぬ興味を示した、「これはいける」と確信し、ゴムの絶縁製品へと派生。1971年にはシリコーンゴム電線を、1976年にはふっ素樹脂電線の生産を開始した。当社は技術を発展させ、あらゆる業界へ果敢にチャレンジをし参入を試みている。

当時新設された旧本社ビル:
静岡県浜名郡雄踏町(当時名称)

1980~
1980~

やってできないはずがない
何が何でもやってやる

1980年代はマルチメディア社会だ。当社は高周波同軸ケーブル、光ファイバ加工品と、時代の波に乗ってさまざまな製品を送り出す。折しも工場やオフィスが自動化へと移行するFA、OAの時代。この時期、社員の一人が複写機に内蔵されているロールに着目し、シリコーンゴムを使ったロールを試作した。実績がない会社を複写機メーカーや部材メーカーは相手にしない。ならばロールメーカーの外注になろうと販路を開拓した。苦労の末受注に成功し、今や複写機ロールは世界シェア1位を獲得している。

多岐に広がりをみせる日星製品。
当時の製品カタログ。

1990~
1990~

追いつき、追い越したら、引き離せ

1990年代に入ると、日常生活の隅々まで情報化されたIT社会が到来する。当社は電線やチューブはもとより、既に手掛けていた光ファイバ加工品を着実に進化させ、さまざまな伝送用ケーブルを送り出す。数ある製品群の中から光メタル複合ケーブルを例に挙げよう。他社と差別化を図るため、耐久性を徹底的に追究した。曲げたら割れるガラス素材の光ファイバや、切れるメタル素材の銅線に耐久性を備えられたら、1歩も2歩もリードできる。現在1億回曲げても画像や信号の伝送ができることを証明すべく実証実験が繰り返されていて、既に一部実用化がされているものがある。

1993年、初めての海外事業所を
中国広東省中山市に設立。

Future
Future

100年企業へ 唯一生き残るのは、
変化できる者である

設立から50年、私たちは、市場の要求に応えるさまざまな要素技術を獲得してきた。当社の礎を築いた絶縁編組チューブは、50年前のそれとは質的、特性的、構造的に全く異なるものである。絶縁編組チューブに関わらず多くの製品が開発当初から大きな変化を遂げている。今後5G通信やIoT等が台頭し、想像を超えるスピードで社会・産業構造が変化していく。常にあらゆる市場の声へ耳を傾け成長してきた当社は、現状に満足することなく、新たな挑戦を続け、100年企業を目指す。

2017年、浜松アクトタワーに
ショールームをOPEN。